1 グリーナー式単身元折散弾銃



 「昔、浜田の単身単発銃は有名だった」との話をあるお客様より伺いました。その方は以前に御徒町にあった岡本銃砲店の岡本雅清氏よりこのことを伺ったそうで、私には全くの初耳でした。
  我が国で民間用の後装銃の製造が始まったのは明治10年代後期と思われますが、当時は村田式、レミント式が主流で、単身元折式はこれらに比べやや高価であったため、こだわりをもつ狩猟者が得意気に猟野で携えていたのではないでしょうか。 なおグリーナー式とは英国のW.W.グリーナーが特許を取得した安全装置(元台左側面、引金の上部付近にネジ留めされています)を有する銃器のことで、以前は数多く見受けられましたが、戦後の作の銃砲には見かけられなくなりました。


2 単身元折式散弾銃の製造



単身元折式散弾銃の製造についての記述が「非軍用銃砲製造許可願 警視総監宛 大正8年7月15日付」に
ありますのでご覧ください。









3 銃の刻印
 


本銃の銃番号の前にある三菱の様な印は浜田製の印であると浜田喜三郎から聞きました。弊店にはその刻印が残っていますが、その意味合いは当初違っていたのではないかと推察します。



弊社の初代浜田重五郎(文久2年生まれ)は御徒町の岡本銃砲店で7年間銃砲製造技術を学び、明治27年に本郷区湯島4丁目にて開業、翌年11月5日に現在地に移り営業を始めました。 大正10年に銃砲販売営業許可を取得する迄の販売先は小売りをする銃砲店であり、浜田の名称を銃砲に記すことはなかったと推察します。(この点は喜三郎より聞いてはいません。思うに、肝心なことを聞きたい時には相手はいません。相手がいる時には自分が肝心なことをわかっていないのです。)



明治27年1月に刊行された雑誌「猟の友 第3巻第26号」にある磯部商店の宣伝広告には 同社の印が有り、これは弊店製の印と似ています。類似の印を使用するとなると問題が生じるはずです。恐らく浜田重五郎は磯部商店と銃砲製造の契約を結び、その生産銃に磯部印(三菱の様な印)を打刻したのではないかと推察します。 なお、磯部商店のその後の営業状況は不明です。